僕が敬愛してやまない監督の一人、デイミアン・チャゼル。
「セッション」「ラ・ラ・ランド」などの傑作を世に放ち、「ラ・ラ・ランド」では史上最年少でアカデミー賞監督賞を受賞したまさしく天才映画人。
彼は、強い画力や天才的な長回しなどの”撮影”や、演じる俳優とのディスカッションにより高いレベルで研鑽されたキャラクター造形の緻密さが非常に特徴的な監督。そして何より、劇中使用される音楽が神がかっている監督です。
作品の中で大きな存在感を示す”音楽”を作り上げてきたのは、ジャスティン・ハーウィッツという音楽家。チャゼルとハーウィッツはハーバード在学中に出会い、そこから常に映画製作を共にしてきたパートナーであり大親友です。
もちろん本作「バビロン」の楽曲も、ジャスティン・ハーウィッツが作曲を手掛けアカデミー賞作曲賞にもノミネートされています。チャゼル愛好家には外せない一人。テストに出ます。
そしてデイミアン・チャゼルと言えば「ラ・ラ・ランド」の時に垣間見せた猛烈な”映画オタク”ぶり。
「ラ・ラ・ランド」は「シェルブールの雨傘」や「ロシュフォールの恋人たち」、「雨に唄えば」などなど数えきれないほど多くの映画が下敷きとなり引用された作品。劇中に見られる色使いなんかは、ほんとまんま「シェルブールの雨傘」だったのが非常に印象的です。
彼の映画を観る誰よりも映画が好きなのは、デイミアン・チャゼル本人だと思うほどにその知識と熱量には畏敬の念を覚えざるを得ません。
そんなデイミアン・チャゼルの新作「バビロン」は、彼の映画愛やそれに関わる人たち、もっと言えば映画産業の発展のために”生贄”となってしまった人たちへの暑苦しいほどの愛と情熱に満ちた一本です。
意欲作「バビロン」、ネタバレありでレビューしていきましょう!!
映画「バビロン」あらすじ
1920年代のハリウッドは、すべての夢が叶う場所。サイレント映画の大スター、ジャック(ブラッド・ピット)は毎晩開かれる映画業界の豪華なパーティの主役だ。会場では大スターを夢見る、新人女優ネリー(マーゴット・ロビー)と、映画製作を夢見る青年マニー(ディエゴ・カルバ)が、運命的な出会いを果たし、心を通わせる。恐れ知らずで奔放なネリーは、特別な輝きで周囲を魅了し、スターへの道を駆け上がっていく。マニーもまた、ジャックの助手として映画界での一歩を踏み出す。しかし時は、サイレント映画からトーキーへと移り変わる激動の時代。映画界の革命は、大きな波となり、それぞれの運命を巻き込んでいく。果たして3人の夢が迎える結末は…?
公式HPより
映画「バビロン」キャスト・スタッフ
- 監督:デイミアン・チャゼル
- ブラッド・ピット(ジャック・コンラッド)
- マーゴット・ロビー(ネリー)
- ディエゴ・カルバ(マニー)
- ジョヴァン・アデポ(シドニー・パーマー)
- リージュン・リー(レディ・フェイ・ジュー)
- トビー・マグワイア(ジェームズ・マッケイ)
映画「バビロン」ネタバレあり感想
注意
ネタバレを含みます。
必ず本編ご鑑賞後にお読みください。
本作「バビロン」は、正直かなり観る人を選ぶ映画でしたね。どうでしたか。
内容の過激さもそうですし、そもそも長い。「ラ・ラ・ランド」的なもの期待していた人は、顔面ど真ん中に強烈なカウンターを食らったんじゃないでしょうか。
そのせいもあってか、本国での評判もよろしくなく、大赤字をたたき出しているよう。
海外の有名レビューサイト「Rottenn Tometoes」でも評論家スコア56%、観客スコア52%と散々な状態。トマトは腐り、ポップコーンはこぼれまくっています。(2023.02.12現在)
まあただ、ただね。
僕は好きでしたねぇ…。
いや、言いたいことも不満も全然あるんですが、それ差っ引いても好きでした。
良かったことも悪かったことも全部吐き散らかしていきましょう。ネリーのように。
激動の”その時”、チャゼルはどう描く
バビロンの舞台となる1920年~30年ごろのハリウッドは、声のない「サイレント」から音声と映像が同期した「トーキー」へと映画産業が地響きと共に移り変わる激動の時代。
「サイレント映画」というのは映像が流れたあとに演者のセリフを映す字幕カットが交互に映るスタイルの映画。劇中でも登場人物”レディ”は字幕屋として働いていたカットがありましたね。
この頃のハリウッドは規制なんかなく何でもアリなハチャメチャな時代で、映画が大衆娯楽として爆発的な人気を博したことで金とドラッグ、ありとあらゆる犯罪が雪崩のようにハリウッドへ押し寄せていた酒池肉林の時代。栄華を極め、天国と地獄がそこに同居しているカオスな世界です。
金・ドラッグ・セックス・暴力…。
絵にかいたような酒池肉林の宴で脂っこく幕を開ける本作のオープニングの華々しさと下品さたるや。しかし、このオープニングには只者でない、凄まじいエネルギーと猛烈な熱量が内在していました。パーティー会場をカメラがワンカットで駆け巡りながら登場人物を無駄なく映し何が起きているのか観客にスマートに魅せる。これぞ、デイミアン・チャゼル。
「ラ・ラ・ランド」での、映画史に残るオープニングで見せた職人芸はここでも光ります。
そしてこのオープニングこそ、チャゼルが本作「バビロン」で一貫して描きたいものの高らかな宣言のようにも思えました。
デイミアン・チャゼルは本作で、華々しいハリウッドの”光の側面”だけでなく”闇の側面”も描くことに大きなこだわりを持っていたそう。「彼らがどんな極限状態で生きてきたかを、ありのままに、純粋に捉えたかった。」(「バビロン」公式パンフレットから)と。
そんな彼の映画の中で生きる登場人物たちには、それぞれモデルとなる実在の人物がいます。
ブラット・ピット演じるジャック・コンラッドのモデルは、同じくサイレント映画で一時代を築いたスター、ジョン・クロフォード。マーゴット・ロビー演じるネリーのモデルには、一つの作品をきっかけに当時のセックスシンボルの座まで上り詰めたうら若き女優クララ・ボウ。
ジャックのモデル、ジョン・クロフォードはサイレント映画ではスターまで上り詰めたものの「トーキー」に出演した際には外見には似つかない甲高い声により業界で淘汰され、最終的にはアルコールに倒れます。「トーキー」の台頭から数年の出来事。
クララ・ボウも御多分に漏れず。なんでもありのサイレント映画から、1930年代に「ヘイズコード」と呼ばれる規制が制定された後は、過激な性描写などに厳しい規制がなされそのまま業界から姿を消します。自殺こそしなかったものの、この激動の時代の中で埋もれていった一人。
こうしてモデルとなった人物たちの歴史を振り返ると、本作の味わい方も一つ深くなる気がしますよね。登場人物たちが辿る結末を見ても。
その他にもマニーやレディ、シドニーにもモデルとなった実在の人物がいるわけですが、共通して言えるのはこういった実在の人物を下敷きに彼らの栄枯盛衰の様を一貫して描いていること。まさに光と闇をどちらも生々しくリアルに、過激に描いています。
こういった徹底した描写こそ、まさに賛否や好みが分かれる部分になるかと思いますが、個人的には話運びのテンポや編集、音楽の魔法もあって終始画面に釘付けになってしまいました。
長すぎる上映時間と散らかった脚本。
チャゼル好きとしては大絶賛したいところですが、そうもいかなかったのが正直なところ。
何がアレというと、さすがに上映時間長いしそこに必然性がない。ということ。
「バビロン」の上映時間は189分。3時間超えの大作です。
最近長い映画が増えてきましたが、3時間と言われるとさすがに構えてしまう。人によってはそれだけで鑑賞をスルーする人もいますよね。
個人的に最適な映画の尺は100分だと思っています。
めちゃくちゃどうでもいいですね。
いや、別にいいんですよ長くても。観るんで。ただ、それだけの理由と3時間惹きつけさせる魅力を上映中保っていてほしいんです。「必然性がない」と言いましたが、要するに「別にこんな長くやらなくてもこの質は保てるしもっと好印象」ということ。
本作の上映時間の長さは、群像劇の体を成してるがゆえの積み上がりであると感じています。
この映画で主にスポットライトを浴びるのはざっと5人。ジャック、ネリー、マニー、シドニー、レディ。見事な編集の技によりだいぶ見やすくはなっていると思いますが、正直そこにそんな時間割かなくてもいんじゃねと思う箇所もそれなりに。
シドニー、レディの話は挿入したい気持ちもわかるし多様性枠で確保しといた方がいいのもわかるんですが、明らかに彼らの話は他に比べ中途半端でしたし、メイン3人の脇を固める活かし方でも十分に活躍していたはず。
こういったところからも、要所要所でまとまりがなく話がとっ散らかっている印象がどうしてもぬぐえませんし、上映時間がただ長くなる要因であると感じます。
加えて、みんなの”スパイディ”トビー・マグワイヤが登場する中盤以降のシーンは明らかに不要な寄り道だった気がします。トビーも頑張ってたんで評価したいんですが、割と気持ちが離れてしまいました…。
さらにあそこは急にサスペンススリラーの様相を呈しますが、正直チャゼルの映画に「サスペンススリラー」は求めていません。というか、チャゼルの得意分野でない気がします。
でも、チャゼルはこういうのやりたいんですよね多分。
チャゼルが製作総指揮とエピソード監督を務めたNetflixオリジナルドラマ「The Eddy」では、経営危機に瀕したジャズクラブの奮闘を描いていましたが、このドラマも謎にサスペンススリラーが話の軸になってくるし、それがそんなに興味をひきません。加えて各エピソードがバンドメンバーをそれぞれメインに置いた群像劇なんですが、それがどうにも魅力に欠ける。
超絶期待していたんですが、肩透かし食らったのを覚えています。
この不要なサスペンススリラーとまとまりのない群像劇は「バビロン」「The Eddy」に共通したウィークポイントであり、チャゼルの苦手分野(でもやりたいコト)を見た気がします。
こういった積み上げを考えるとそら3時間超えるか…という気がしますが、微妙な点でした。
一貫して描く、”夢追い人”の物語。
デイミアン・チャゼルのフィルモグラフィーで共通しているのは、「何かを追い求める人物」が話の推進力になっていること。
ドラム、ジャズクラブ、女優、宇宙…
必ずと言っていいほど彼の映画は何かを追い求める人物が登場し、彼ら彼女らがどのように自分の人生を選択していくかという話が根底流れます。夢を追いかけ、何を失い何を得るのか。酸いも甘いも、人生を凝縮したヒューマンドラマこそデイミアン・チャゼルが作る芸術の魅力です。
サスペンススリラーじゃなくて!!!
本作「バビロン」だって同じ。登場人物たちは何かを追いかけ、何者かになろうとしています。その中で成功する者、失敗する者、命を落としてしまう者、立ち去る者。彼ら彼女らの夢と人生を目撃し、その苦闘を同じ視点で味わうからこそ、それぞれが自ら選んだその選択に観客は心震わされるのです。
チャゼル自身も、一時は厳格な教師のもとジャズドラマーとしてミュージシャンを志した”夢追い人”でした。だからこそ、彼の描く”夢追い人”の話には形容しがたい魅力があるのかもしれません。
本作「バビロン」のラスト、家庭を築いたマニーはかつて夢を追いかけた場所へ家族を連れて赴きます。ジーン・ケリー主演の名作「雨に唄えば」を観ながら思い出されるのは、自分が”夢追い人”であったあの日々と夢破れた者たちの記憶。
そして画面は移り変わり、まさに21世紀現在に至る”映画史”がフラッシュバックされます。
ネリーと出会った時「なにか大きなものの一部になりたい」と語るマニーの”夢”は脈々と続いていくその歴史の中に刻まれ、思いもよらぬ形で実現していること、していくことに気づくわけです。
このラスト数分のシーンの連続こそ、本作のキャラクターたちがそうであったように壮大で野蛮な世界の生贄になってしまった者たちへの愛と情熱であり、それを讃えるデイミアン・チャゼルからの熱烈な讃美歌であったように思えます。
生粋の”映画オタク”であるチャゼルにしか表現出来ない厚かましいまでの情熱に、心打たれてしまいました。
まさに巨大な産業である映画業界で生きる、デイミアン・チャゼルその人が描く「夢追いかける映画人の物語」に、僕も猛烈な愛を送りたいです。
まとめ
冒頭も書きましたが、本作は実際に賛否がかなり分かれています。
むしろ否定的な意見の方が多いのかもしれませんが、これまでデイミアン・チャゼルの映画を追いかけて来た人には是非とも進めたい一本。それでどう感じたか話すのも楽しいかもしれませんね。
本文中には取り上げませんでしたが、「バビロン」は劇中の音楽が抜群によかったのが非常に印象的です。持っているエネルギッシュさとその勢いはこれまでの作品で一番かもしれません。
作曲したジャスティン・ハーウィッツは「バビロン」でゴールデン・グローブ賞を受賞していますし、アカデミー賞作曲賞にもノミネートされています。というかこれはもう獲ると思います。
一流の才能と一流の才能が絡み合うとここまでの芸術が生まれるのかと、チャゼルの映画を観るたびに思わされます。
まだまだ若手のデイミアン・チャゼル。これからも彼の撮る映画はマストで追いかけていきたいですね。追いかけましょう。
長くなってすみません!
以上!
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