映画「ジョーカー」ネタバレあり感想・解説 なんですか、この隙のない映画は。

映画感想
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2019年に公開された「ジョーカー」は、「ダークナイト」でヒース・レジャーが演じ大変な話題となったキャラクター“ジョーカー”の単独作。

監督は「ハングオーバー!」を大ヒットに導いたトッド・フィリップス、主演は現在最も演技が上手いであろう俳優の一人ホアキン・フェニックス

2人が作り上げたジョーカー像は、原作をほぼ無視した造形でありながら、1970年代の名作に大きくインスパイアされた人物探求映画の傑作として興行的・批評的にも大成功を収めました。

アカデミー賞主演男優賞を受賞し、作品賞にもノミネートされた「ジョーカー」

ネタバレありで解説・レビューしていきます!!

必ず本編ご鑑賞後にお読みください!!

映画「ジョーカー」あらすじ

「どんな時も笑顔で人々を楽しませなさい」という母の言葉を胸にコメディアンを夢見る、孤独だが心優しいアーサー。都会の片隅でピエロメイクの大道芸人をしながら母を助け、同じアパートに住むソフィーに密かな好意を抱いている。笑いのある人生は素晴らしいと信じ、どん底から抜け出そうともがくアーサーはなぜ、狂気溢れる〈悪のカリスマ〉ジョーカーに変貌したのか?切なくも衝撃の真実が明かされる

公開HPより

映画「ジョーカー」キャスト・スタッフ

  • 監督・共同脚本:トッド・フィリップス
  • ホアキン・フェニックス(アーサー・フレック)
  • ザジー・ビーツ(ソフィー)
  • ロバート・デ・ニーロ(マレー・フランクリン)
  • フランセス・コンロイ(ペニー・フレック)

映画「ジョーカー」ネタバレあり感想

ネタバレを含みます!

本編ご鑑賞後にお読みください。

ヒースが「ダークナイト」で演じて以降は、ジョーカーというキャラクターが爆発的な人気を博し、映画史に残る悪役として認められた印象が非常に強いです。

監督のトッド・フィリップスと主演のホアキン・フェニックスは、その上がりきったハードルを超えられるのか。公開前は期待と不安が半々だったのをよく覚えています。

そしていよいよ劇場公開。蓋を開ければ、丁寧にそのキャラクター像を紐解き、独自の解釈を交えながらも素晴らしい脚本と演出で生まれた現代の傑作だと劇場で歓喜しておりました。

「ジョーカー」はアメコミ原作のキャラクター映画でありながら、映画のどの面を切り取っても一つの映像作品として群を抜いて芸術的であると思いますし、人物描写の緻密さは唸らされるほどのクオリティです。

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トッド・フィリップスが目指したもの。ー1970,80年代に生まれた名作からの引用ー

実は監督のトッド・フィリップスは本作を撮る前から、コミックス映画の監督オファーは何度か受けていたそう。しかし「そういうのは観ないので…」と断っていたとか。

そのトッド・フィリップスが何故「ジョーカー」の監督を引き受けたのか。その背景には監督が影響を受けた、1970〜1980年代に生まれた名作の数々がありました。

トッド・フィリップスは元々「タクシー・ドライバー」(1976)、「狼たちの午後」(1975)、「カッコーの巣の上で」(1973)のような人物描写重視の映画を監督したかったそう。

しかし今の人たちはそんな映画は観ない。では、どうすれば観てくれるのか?

その答えこそが、「ジョーカー」の映画化。

「DCコミックスが誇るスーパーヴィランの実写映画」というパッケージを借り、人物探求型の作品を徹底的に作ろうとしたわけです。

作品内では先程挙げた映画からの引用が随所に見られ、トッド・フィリップスのやりたかった事が思う存分作品内に反映されています。

アーサーが病院の枕でペニーを殺害するシーンは、「カッコーの巣の上で」からの引用ですし、アーサーがマレー・フランクリンの熱狂的な支持者である辺りなんかは「キング・オブ・コメディ」(1982)そのまんまです。

「キング・オブ・コメディ」(監督:マーティン・スコセッシ)は、コメディアン志望の男が憧れのコメディアンの誘拐を企て、代わりに自分がTVショーへの出演を試みる物語。(こちらはこちらで狂っています。)

面白いのは「キング・オブ・コメディ」で、病的な行動をする主人公ルパート・パプキンを演じたロバート・デ・ニーロが、本作ではまさにカリスマ司会者役を演じていること。

キング・オブ・コメディ(1982)

まるで「キング・オブ・コメディ」のあと主人公が大成功した姿を想起させる、皮肉のきいたキャスティングです。完全に狙ってます。

アーサーが自宅でショー出演のシミュレーションをしているシーンがありましたが、こちらも「キング・オブ・コメディ」から直接引用されたシーンの一つ。

こうした過去の名作から存分にインスパイアされた「ジョーカー」は、トッド・フィリップスの手によって2010年代を代表する人物探求型作品の傑作として、目を見張る完成度を持つ作品であると感じます。

公開前にもトッド・フィリップスは、「原作ファンはもしかしたらこの映画を嫌うかも知れない」と発言していました。これは一人の男が化学溶液タンクに落ち、顔面が漂白されジョーカーへと生まれ変わったという原作でのジョーカーのオリジンを無視した物語であったためです。

しかし、この選択・方向性は大正解であり、「ジョーカー」以降のDC/ワーナーブラザーズの進むべき道を決定づけた偉大な功績であったと感じます。

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魅力的な演出の数々

ジョーカーはその物語もさることながら、作品内で象徴的に登場する物の表現方法や演出が高いレベルで洗練された映画だと思っています。

階段と窓

最も象徴的に登場するのが「階段」「窓」。作品内ではこの二つの使い方がかなり印象的でした。

「階段」はポスターにも使用され、映画公開後は観光スポットになるほど作品の顔になった象徴の一つ。(本物はNYブルックリンにあるらしい。行きたい。)

劇中もこの階段は何度か登場しますが、中盤まではうつむきながらトボトボと階段を上っていくアーサーの姿が印象的です。

対して、終盤ではどうか。

ジョーカーへと変貌を遂げたアーサーが、いかにも楽しそうに生き生きと踊りながら下っていく姿と共に映されるわけです。

階段の上と下を、社会で強いられる生き方と外れた生き方と定義するならば、社会から置き去りにされたアーサーにとって世の中が是とする生き方はあまりにも生きづらく、反対に社会から外れた生き方こそ彼の中での生きる道として拓けていたのかもしれません。

楽しそう。

また、作品内でアーサーがジョーカーに成っていく過程にあっても「この瞬間にジョーカーになった」という明確なものはありません。様々な要因から少しずつジョーカーへと姿を変えていきます。

この緩やかな変貌も、階段を一段一段下っていく姿と言い換えられるのではないでしょうか。

もう一つの象徴である「窓」は、階段と同じくアーサーと共に劇中で3回登場します。

1回目はバスの中で黒人女性に露骨に拒絶された後、車窓越しに外を見つめる姿。2回目は仕事現場へ銃を持ち込んだことからクビになった直後、地下鉄の窓越しに映る姿。そして3回目はジョーカーとしてマレー殺害後、連行されたパトカーの車窓から無法地帯と化したゴッサムを見つめる姿です。

1,2回目と3回目の大きな違いは「窓から外を見つめるアーサーの表情」

もうこれは見た方が早いですね。

映画序盤、バスから外を見つめるアーサー。
映画終盤、パトカーから外を見つめるジョーカー。楽しそう。

どうでしょう。雲泥の差です。階段の時同様、”ジョーカー”の方が明らかに表情豊かです。

「窓」に映る世界・社会がどうなっているのか?が、このシーンを読み解く鍵かも知れません。

1,2回目のシーンで窓に映るのは「アーサーを拒絶し虐げる世界」。自分もケアが必要な身でありながら病気がちな母の面倒を見ているにも関わらず、行政は自分たち貧困層へのサポートを断ち仕事すらまともに与えてもらえないような世界が映ります。

しかし、3回目で窓に映るのは「自分を虐げてきた者たちが破壊されていく姿」です。アーサーに扇動された形となった暴徒が街を破壊し暴力の限りを尽くす姿が窓に映ります。社会に対して並みでない嫌悪感を抱いていたアーサーにとって、パトカーの車窓越しに映る世界こそ”最高の喜劇”だったのではないでしょうか。

そして興味深いのは、それまで窓の内側から世界を見ていたアーサーが「窓」を突き破り、今まで窓に映し出されていた「世界」にいよいよ放り出されるわけです。神のように崇められながら。

パトカーの上で小躍りする姿が印象的なクライマックスは、社会からある意味で無理やり生かされていたとも言えるアーサーが、自分が主体的に生きる場所を見つけたような見事なシークエンスです。

アーサーの抱える”病気”

さらに、劇中でアーサーは”自分の意図に反して笑ってしまう病気”を抱えています。

無意識のうちに言葉を発してしまったり、意図しない行動をとってしまうチック症のようなものとして作品では描かれますが、映画を見返すほど「これは病気や障害の類ではないのでは?」と思えてしまいます。

アーサーが意図せず笑ってしまう場面は「ある意味で笑える状況」です。

バスで黒人女性から露骨に拒絶された時、やっとコメディアンとして立った舞台でスベリ倒してる時、トーマス・ウェインにボコボコにされた時…

劇中では深刻な場面として描かれますが、もしこれが同じトッド・フィリップス監督作「ハングオーバー!」のシーンであったならばどうでしょう。

多分思いっきりコメディシーンですよね。

全部が全部そうだとは言い切れないところがありますが、アーサーが意図せず笑ってしまう場面というのは「抑圧された本当の自分が一瞬顔を出している瞬間」ではないか?と感じます。

かつて喜劇王チャップリンは「人生はクロースアップで見ると悲劇だが、ロングショットで見れば喜劇だ」と語っています。まさにこの通り、アーサーの視点に立つと結構きついですが一歩引いて見ると若干笑えてしまう感が否めません

人が虐げられているところを面白がるジョーカーが、残念な状況に陥るアーサーを見て笑う。それがアーサー・フレックの身に起きている事象なのではと感じます。

アーサー二重人格説的なことを言いたいわけではないですが、抑圧とそこからの解放という本作の根底にあるテーマと非常にリンクしている人物描写ではないでしょうか。

そもそもジョーカーとは?

というか、そもそもジョーカーってなんなんでしょう?

真っ先に思い出すのは”トランプのジョーカー”ですよね。

「ダークナイト」でも、「ジョーカーがジョーカーを持つポスター」が使用されています。

ただキャラクターとして、特に本作の「ジョーカー」として”トランプのジョーカー”はあんまり関連性を感じません。というかトランプのジョーカーって何ですかあれ。お調子者ですか?

本作のジョーカーは「ジョークの表現者」としての「ジョーカー(JOKER)」なんじゃないかと思いますし、しっくりきます。

アーサーはマレーに対し「喜劇とは主観だ」と言い放ちますが、これこそアーサーがジョーカーたる所以であるのと同時に、作品内での”笑い”に対する解釈ではないでしょうか。

結局アーサーは自分をコケにしたマレーを殺害し、その後ゴッサムは破壊され始めます。

これこそアーサーが仕掛け、世の中を動かして起こした”笑い”そのものであると感じますし、それを表現するからこそ「ジョーカー」と名乗るのではないでしょうか。

「窓」についての描写の時も書きましたが、アーサーの視点に立てばゴッサムが破壊されていく姿は笑えてならないはずです。

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まとめ

いろいろ書いてたら熱くなってしまいました。ゴメンナサイ。

しかしそれほど、読み解けば読み解くほど味が出る映画ですし「ヤバイやつのヤバイ行動」を楽しむだけの映画でないことは明らかです。これからも新たな視点とかたくさん出てきそう。

今回のレビューで取り上げたところ以外にも、ホアキン・フェニックスの怪演だってえげつないですし撮影の芸術性の高さは異常です。証券マンを撃ってしまった後のダンスシーンなんか、あれだけでアカデミー賞撮影賞ノミネート入りを確信しました。(受賞は「1917」。さすがに相手が悪すぎた。)

とにかくほんと一つの映像作品として隙が無い、ステータス高すぎな映画です。

個人的MVPは間違いなく監督のトッド・フィリップス。

「ハングオーバー!」シリーズしか知らなかったけど、今後の彼の作品が楽しみでなりません。

映画を観る楽しさを再確認させてくれた「ジョーカー」。これからも観まくりたいですね。観まくりましょう。

以上!!

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